2007年7月20日金曜日

シャネルの特徴

シャネルといえば誰もが思い浮かべるのは、Cマークでしょうか。Cマークは、創始者である「ココ・シャネル」のイニシャルに由来しているのも有名ですね。ドレスだけでなく、ロシアバレエ団舞台衣装やハリウッド映画の衣装を手掛け、アーティストとしてシャネルの名は広く轟いて来ました。


女性達にコルセットからの解放、ジャージー素材のドレスを提案し、喪服でしか使われなかった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として発表したり、 ツイード素材のスーツを発表して話題となってきました。


また、シャネルは香水の分野でも高い功績をあげています。マリリン・モンローが「寝る時に私が身に纏うのはシャネルの5番の5滴だけ。」と言った言葉は余りにも有名です。シャネル5番は、八十種類もの成分を混合した、まったく新しい人工の香りとのこと。(ちなみに「5番」の由来は、香水職人が提出した試作品にココ・シャネルが4回もダメ出ししたかららしい、という話もあります!)当時は、今でも活躍が目覚ましいカトリーヌ・ドヌーブがイメージキャラクターを務めていました。


シャネルのイメージキャラクターといえば、カール・ラガーフェルドによって、ミューズとして抜擢されるモデルや女優は注目の的。1980年代にはイネス・ド・ラ・フレサンジュ、1990年代にはクラウディア・シファー、ステラ・テナントらがいました。現在のミューズは、アンナ・ムグラリスです。


ところで、シャネル銀座ビルは一度は行ってみて欲しい店舗です。1~3階はブティック、4階は音楽とアートが楽しめる場、10階は「ベージュ東京」というレストランが運営されています。プレタポルテは勿論、アクセサリーも魅力的です。ココ・シャネルは、「宝石は宝石専門の人が製作するもの」と思っていたようですが、近年では本物の宝石のみしか使用しない「ファインジュエリー」を提案しています。


因みに、2007年春夏ジュエリーコレクションのテーマは“避暑地の海辺”!ターコイズやピンクトルマリンがふんだんに使用されています。また、毎日18:00~翌1:00まで中央通りとマロニエ通り側のLED照明がシーズンごとにデザインを変化させたり、イベントの告知に使用されたりと華々しく私達の目を楽しませてくれています。


シャネル(CHANEL)は、「古い価値観にとらわれない女性像」がブランドポリシー。現在は、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任し、ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案しています。

シャネルの歴史

シャネルブランドの原点が、1910年に開かれた帽子専門店「シャネル・モード」だったということは、意外な事実として歴史に刻まれています。


1913年には、リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店、1915年、ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、オートクチュールデザイナーとして戦慄なデビューを飾ります。彼女は第一回のオートクチュールコレクションで、女性達にコルセットの解放、すなわちジャージー素材のドレスを提案したのです!ジャージーだけでなくツイードも使用しての「シャネルスーツ」をも誕生させました。


当時フランスでは不評でしたが、女性の社会進出がめざましいアメリカでは賞賛の声が上がり、その盛り上がりはフランスにも戻ってきたのです。シャネルといえば黒をイメージする人が多いと思います。当時は喪服でしか使用する事のなかった「黒」という色を、ドレスの色彩として発表しファッション業界を大きく震撼させたことも関係しているのではないでしょうか?


ほどなくしてシャネル社は従業員四千人を抱える大企業へと成長を遂げました。ロシアバレエ団舞台衣装やハリウッド映画の衣装を手掛け、アーティストとしてシャネルの名は広く轟きました。1921年には、本店をカンボン通り31番地に移転し、シャネル初の香水「No.5」が発表されました。


しかし、第二次世界大戦の勃発と共に、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖するハメに。その上、ココがナチス・ドイツによるフランス占領中を通じドイツ軍将校と愛人関係にあったため、連合軍によるフランス解放とともにスイスへの逃亡を余儀なくされてしまいます。


然しながら、1954年には、閉鎖店舗が復活し、カンボン通りの店を再開、オートクチュール・コレクションも復活させたのです。


現在のシャネルは、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任しており、ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たしています。